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似て非なるもの 

最近やたらと「待つ」(あるいは「静観する」)という事が増えたと思う。

これまでの経験則として思うのは、こういう言葉が出てきた時は、必ずと言って良いほどに良い結果にはならない。

発生する課題に対して、「待つ」という判断は、言葉自体は何となく能動的に聞こえるような気がしないでもないが
単純に何もしないという事に過ぎない。「待つ」という判断は、実際のところ「何も判断しない」という、実に他力本願な
事なのだと思う。

「待つ」ということと、「機をうかがう」ということは、似て非なるものなのだ。

課題に対して「待つ」ということは、その後に起こる事柄(あるいは結果)に対して対策がない。
対して、「機をうかがう」ということは、対策を講じているという事で、あとはそれを実行するタイミングのみ。

つまり、「待つ」という判断は、完全な無策である。事態が好転することを、何の根拠もなく期待して受け身に
なっている状態で、状況の変化を予測していない。もっと言えば、状況の変化に対して覚悟が無い。ただただ
受け身で自分に都合の良い願望と、待つことによる可能性とを勘違いしている。

判断する立場にある人間は、それが非常にプレッシャーであることを十分に知っている。
確かに、誤った判断をすれば、組織はダメージを受け、自身のみならず職員の生活や希望に支障を及ぼす
可能性がある。だからこそ、「待つ」という判断をする場面が多くなるのだろう。

「倒れるときは前のめりに。」

坂本竜馬が多くのサラリーマンから共感を得たのは、殆どの場合「待つ」人が余りに多いのだと、
そしてその状況を何とか打破したいと思いながら、実際にはそうはできない人が多いのだと、
そう思うようになった。前のめりであり続ける人は、それが当然なのだから。

何となく、まとまらない考えをつらつらと書いてしまいましたが、
今日はこのへんで。
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